仙台銀座と明治の東京計画

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仙台駅前から南町通りを西に行くと、ビル街の路地に飲食店など20数店が並ぶ「仙台銀座」があります。
この一郭は、昭和20年の仙台空襲で焼け野原となりました。戦後まもなく木造モルタルをつなぎ合わせて建てたマーケット形態の建物には、飲食店や洋裁店、模型店とさまざまな店が並びにぎわいました。でも昭和27年の大火でほとんどを全焼。以後、今のような横丁となりました。(新・仙台の魅力発見12の散策コースより)

以前もこのブログで書いたことがあったんですが、全国には300とも500とも言われる「銀座」と名のつく場所や通りがあるという。(銀座コレクション)

江戸時代の銀貨鋳造所から明治時代の文明開化・繁華街の象徴へと移り変わった時に、東京駅や丸の内とともにレンガ造りの街並みを生み出し、全国の人に強い衝撃を与えたことで、各地に「銀座」と名のつく場所が誕生したという。(赤レンガ散歩)
これって凄いことですよね。だって、現在「○×渋谷」とか「△×表参道」とか名づけられた場所って全国にはないでしょう、多分。
いかに注目を集め、尊敬や憧れを「銀座」という街が持たれていたのか。

私は卒論で「江戸・東京改造論」という題で、明治初期の東京の都市計画を研究したのですが、日本史上最も様々なことが急変する時代に、この「銀座」という街が浴びた注目と果たした役割は大きかったというのが思い出されました。東京駅↓
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その時に参考にした本。藤森照信著明治の東京計画
はそのころのダイナミックな変革が感じられる「私の一冊」です。

by sendai-saiwai | 2005-04-09 22:49 | 中央・本町・花京院  

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